アレックス・カーの講義に行ってきた
今日は、会社を早退してアレックス・カーの講義に行ってきた。たまたま同僚とのランチで、旧明倫小学校の前田コーヒーでランチを食べたときに、アレックス・カーの講義がメトロであるということを聞き、行くことにしていた。
内容は、非常によかった。私はアレックス・カーを少し勘違いをしていたようだ。私は、彼を古き良き日本を追い求めるロマンチストだと。そして、日本は破産するしかない、というなど、過激的なことを言う人だなぁ、と。確かに、講義に自己紹介をしている際に、かつて彼はそうだったということを認めている。しかし、今日のメインの話は単純に彼が古き良き日本を作っていこうとしない日本を批判するのではないということがわかった。
彼は、もし、日本が、そして京都がモダン芸術を求めるならそれをキチンとして欲しいといったことを主張してたのだ。彼の内心は、できれば古き良き日本を使わなくなることに対してさみしさを覚えるようになるのは確かだけど、モダンな芸術をアピールして京都を売っていくなら、それはそれで一つの道と言えるのではないか、といったことである。
講義に行ってみて私の感覚は麻痺していたなぁ、と思うことはしばしばあった。私は、以前よく雲ヶ畑などにサイクリングに出かけていたのだが、そのときに見る突如として現れたコンクリートで埋められた山の斜面などに違和感を感じなかったのである。あたかも当然かのように、これはそういうものだ、という感覚で過ごしていた。そして、北山杉なんて、綺麗に植林してあっていいなぁ、と思っていた。しかし、今日の講義を聞いてみて大丈夫か>ヲレ 麻痺してるんじゃない?と考えてしまった。
そして、講義を聞いているうちに彼がなぜ、「日本を目覚めさせるには、破産する必要がある」なんて言っていたか、わかった。しかし、非常に悲しい気持ちにもなった。彼は、日本の社会自体が麻痺してしまっていて、間違った方向に行ってしまっているということを指摘し、そういうときにこそ止めるべき有力者、つまり政治家や学者が情けない状態にいることを嘆き、一度現在の日本の状況をひっくりかえすことがない限り、無理だろうということだった。
議論としては、日本のゼネコンや予算に関してのことを例としてあげていて、まるで予算を使わないといけないという感じになっていることを指摘している。そして、その予算を用いて環境と共生しようとしないコンクリートで全く関係のない山を削ろうとしている。そして、お国で働いていらっしゃる方はそれをがんばって支援しているとのことだった。しかし、彼は、例としては使用したが、ゼネコンが悪いとか政治が悪いとか、責任転嫁をするのではなく、日本の社会全体、私も含めて日本人が悪いということを指摘していたのだ。
例えば、京都が本当に歴史都市、古都を売りにしようとしているときに、町家を壊していっていたり、そして住民は、自分達が歴史のある京都に住んでいるという意識よりも、西洋かぶれなピンクやグリーンなマンションを町家のとなりに建てたりして、景観をくずしていく。
実際、現在私が住んでいるのは、大正から続く町家であるけども、家の正面は「キレイ」な三階建ての一軒家だったりする。そして、私が引っ越してきてからも、近所の町家は壊されていたのを見ている。そして、「キレイ」な家が建っていっている。市民はぶっちゃけどうでもいいと思っているのだろう。
本当に、日本の古都として誇りを持って京都をアピールしようとするのであれば、このことは反対すべきことなのだろうけど、みんな口だけで、そして、盲目的でダメだ、と。
悲しいかな。アレックス・カーも「日本は破産して」なんて言いたくないだろう。講義を聞いていると、彼がとても日本を愛していることがよくわかり、また、そのことが悲しかった。


京都に在住のかたへ、
Alex Kerr氏の講演に行ってこられた由、実は小生はBangkokに棲んでおりまして、こちらで氏の講演があるというので聴講してみようと思い、その前にベンキョーをとwebを覗き、貴殿のcommentを拝見した次第です。 雰囲気が分かり、助かりました。
確かに日本の大半は未だおかしな方向に走り続けているようです。 でも、九州のなんとかいう温泉町のように日本のかつてあった良さを再認識し、再構築する動きも一部にあり、それが当世の客に大人気とかですから、まだ少し安堵しています。 海外に住んでいますと、意外と他の国では若い人が抵抗なく伝統を受け継いで楽しんでいます。 日本は外国の人に指摘されないと認識できないなんて哀しいですね。
Best Regards,